私の原点
元来、勉強嫌いで運動音痴。父親の都合で転校も多く、特に家族揃って東京へ上京した時にはイジメに遭い・・・。オマケに生れ付き目も悪かったので、小学生の頃にはすでに牛乳瓶の底のようなレンズに黒ブチのセルフレームのメガネをかけていた私。勉強や運動はダメでもコンプレックスや劣等感だけは誰にも負けない?ちょっと素直じゃないお子ちゃまだったのです。ホント、今の私を知る人からするとチョッと想像がつかないくらい。^^;
“リトルHaRu”が将来、これほどバイクにのめり込むとは誰が一体想像した事でしょう?
それは小・中と一緒で仲の良かったクラスメートのイノウエ君の影響が大きかったと思います。カレと出会ったのは小学4年生の時で、そのカーマニアぶりは筋金入りの車好きを通り越して鬼気迫るものがありました。何しろその年齢にしてすでに授業の合間の休み時間とかにヒール&トゥのイメージトレーニング!をしていたほど。^^;スーパーカー・ブームが来る遥か以前?フェラーリやランボルギーニ、マセラティとかランチャ等の海外ブランドもカレを通じて知りました。またメカニズムにも滅法強く、まるで砂漠に染み込む雨の如く様々な知識を吸収しながらすっかり感化され、おマセな小学生と化していったのです。
そんなカレとは高校では別々になりながらも、心の奥底に灯った小さな炎は燻り続け、やがて免許の取れる年齢に。まず手始めに原動機付き自転車、いわゆる“原付”の免許を取得。始めての国家試験に合格した喜びも束の間?すぐに中型免許(現在の普通自動二輪免許)も取っちゃったんですネ、これが。若い頃、バイクを乗り回していた理解ある父親は、私の免許取得をたいそう喜んでくれてHaRuママの反対を押し切り、ポン!とHonda GL400を購入。結構、お坊ちゃまだったんです当時の私は・・・。^^;
納車の日は父親とタンデム(二人乗り)しながらライディングレクチャー!を受け、意気揚々とスタートした私のバイクライフ。最初はおっかなビックリ、手探り状態だったのを思い出します。何しろ始めてのバイクは50cc、しかもHondaスーパーカブと決まっていた時代。それがいきなり400ccですからネ!それでも徐々に慣れて来て高校の悪友?たちと羽田空港へショートツーリングに行ったり、父親の頼まれ事で首都高速を走ったりと何処へ行くのもバイクになって行動範囲がぐ~んと広がって・・・。乗ってるだけで毎日が新鮮で楽しー♪^^;
そんな折、初回点検のために訪れた購入先のバイクショップで紹介されたのが、後に私が入会する事になったツーリングクラブの会長さんでした。「良かったら一緒に走ってみない?」と、免許を取って日が浅い私の事を承知でツーリングに誘って下さったのです。始めてのツーリングは秩父の正丸峠から三峰神社へ。寒い時期でした。ツーリングクラブのみなさんは皮ツナギ。私はバイクショップで買ったトリコロールカラーのHondaのウィンタージャケットにGパン一枚という出で立ち。朝方は冷え込みましたが寒さはぜーんぜん気にならず、それどころか肌を突き刺す冷気が気持ちイイ!と感じる・・・。
いやぁ~あの頃は若かった!^^;
ところが、初めてにしてツーリングの楽しさを知った反面、バイクを操る難しさも思い知らされました。だってワインディングロードに入った途端、あっという間に置いてけぼりなんだもん。ショックでした。原因はアウト・イン・アウト※といったライン取り云々の前に、ギアの選択ミスとスロットルの開けっぷり不足。ほとんど平地しか走っていなかった私には、山道のアップダウンに合わせた走りができていなかったのです。
※高いアベレージを保ちつつカーブを抜けるためのモータースポーツで
基本中の基本とされるテクニック。
「HaRu君、何速で走ってる?高いギアでスロットルを空けてもバイクは付いて来ないョ」
と、言われて始めて気づく私。慣れたと言っても所詮は井の中の蛙。そんな事もわからない超ビギナーライダーが「走り」に目覚めた瞬間でした。それからはそのツーリングクラブの人たちと月一でツーへ。埼玉を拠点に、その当時走りのメッカだった奥多摩有料道路(現在は無料)やいろは坂の日光&金精道路(こんせいどう
ろ)、白樺の木立の間を走る群馬県の赤城山、奥多摩湖から甲州市の塩山へ抜ける柳沢峠、横須賀や箱根&伊豆方面、そして富士山周辺にもよく行ったものです。
特に、能登半島3泊4日のお泊まりツーでは始めてのロングツーリングも経験。まず、山梨県の石和(いさわ)温泉で一泊。翌日、新潟県の糸魚川(いといがわ)へと抜けて親知らずを横目にR8を走り、輪島塗りと朝市で知られる能登の輪島市に一泊。その翌日は岐阜県の飛騨高山に一泊し、最後の〆は日本一の高度(およそ標高2,710m)を走ることのできる雲上のスカイラインとして名高い、「乗鞍スカイライン」※を堪能しながら全員無事に帰宅。また、このツーでは元セニア350ccクラスのレーシングライダーの方が参加され、またしても一般ライダー(特に自分)との格の違いを思い知る事になり、その後の私に大きな影響を及ぼす事になってゆくのでした・・・。
※当時は現在のようにマイカー乗り入れ禁止の規制がなかったのです。
と、ゆぅ訳で・・・?
2008年7月2日の日記、「0.1秒のエクスタシー」で紹介した書籍(とそれに関連した映画)も“HaRu”という人間の人格を形作る上で欠かせない存在だったのです。アップしたまましばらく放置しっぱなしで何の事やらでしたよネ?すいません。個々の詳しい解説はいずれまた・・・。
まったく、今回は身近な人たちにもずっーと音信不通だったのでホントに心配をかけてしまって・・・。心からお詫びします。事情があってバイクも手放してしまいましたが、この情熱の炎はバイクに乗り始めた頃からチッとも変わっていません。いずれ復活するその時まで、そして復活してからも「HaRu ログ」は続けていきますのでどうかこれからもよろしくお願いします。
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