忘れらない思い出の曲とヤマハRZ250
現在のような立派な駅ビルになる前の北千住。そこで夜のバイトを始めた一人の青年がいた。いや、青年というよりは少年といったほうが正しいだろう。高校を卒業して間もなく、父親を亡くし家計を助けていたが、ある夢の実現へ向けてとうとう夜も働き始めたのだ。世間知らずを通り越して無謀と言えるが、それほど当時の彼は“純”だったのだから仕方がない。きびしい母親でさえ、彼を止めることはできなかったのだから…。
それはまだコンビニもない時代。男が夜働くとなるとウェイターくらいしかなかったが、うまい具合に午後7時から深夜2時まで働ける店を見つける。しかも土曜の夜は翌朝5時まで働かせてもらえた。クラブ活動などで身体を鍛えることもなかった学生時代だったが、なぜか背は高く、本人も意外なほど体力はあったから、雨の日も風の日も愛車RZ250で通った。
店の形態はパブ・レストラン。広くはないが店内にはボックス席の他にカウンター席もあり、小さいステージと少人数なら踊れるホールもある。早い時間は主に公務員やサラリーマンなどの一般人。それが引けると勤めを終えた呑み屋の店主やスナックで働く女の子たち、すでに酩酊していて訳のわからないただの酔っ払いもやって来る。週末ともなると目が回るような忙しさだったが、大人たちの長い夜に付き合っているときつくはなく、先輩ウェイターたちにも可愛がられて(からかわれて?)伸び伸びと働く。
ところで、そのウェイターたちには密かな楽しみがあった。口開けの客が入って来るまでの暇な時間帯がそれだ。その時間帯は、経営者であるママの娘が帰宅前に店に立ち寄ることが多いのだ。化粧らしい化粧もしないのに綺麗で、いつも自然体の彼女は彼等にとってアイドルのようなもの。少年にはお姉さんのような存在だった。他愛もない会話やデュエット曲を歌ったりしながら、和やかで穏やかな時間が流れてゆくのが心地良かった。
特に少年は、彼女がソロで歌う姿が好きだった。曲は大体決まっていて、弘田三枝子さんの「人形の家」や丸山圭子さんの「どうぞこのまま」、そして「もう一度」の3曲だ。中でも最後の曲は、まだ恋愛経験もないというのに少年の心に深く刻み込まれた。それ以来、刹那的な女性の気持ちを切々と歌い上げるこのアーティストが好きになる。
ちなみにこの少年はその後、この店で人生最大のターニングポイントが訪れ、夢が叶うことはなかった…。
・伊東ゆかり/プロフィール[小澤音楽事務所]
http://www.ozawamusic.co.jp/a_ito/pro.html
伊東ゆかりさんへ提供されたこの曲は、1980年5月にリリースされた松山千春さんの5枚目のオリジナル・アルバム『浪漫』(ろまん)に収録。A面は揺れ動く男性と女性の気持ち、B面は大自然の素晴らしさと生きる事とは何かを訴え、考えさせてくれる内容で、数ある千春さんの作品の中でも私が一番好きなアルバムです。
それにしても千春さんは、切なく繊細な女心を表現するのが上手ですよネ?でも、こんな女性がいてくれたら?いて欲しいという男性の願望を歌っているようにも感じます。貴女はこの曲にどんな印象を持たれましたか?
「女っていうのは、100あるうち、99優しくても1冷たかったら、その冷たさが許せない。」
「でも、99冷たくとも1優しかったら、その優しさについていこうと思うものだ。」
「女が言葉を教えてくれる。そこから曲が生まれてくる」
・YouTube - おしゃれ30・30 松山千春 1
http://www.youtube.com/watch?gl=JP&v=c1R7QUpMs94
その昔、古舘伊知郎さんと阿川泰子さんが司会を務める『オシャレ30・30』(おしゃれサーティーズ・サーティー)という番組に出演した時の言葉です。言いたい放題の毒舌に眉をしかめる人もいるでしょう。でもチョッと待ってください。優しさや温かさ、そしてどこか遊び心も感じませんか?人を引き付けるMCと心に訴えかける歌唱力。不安定狭心症に倒れるまでは年間約70本ものステージをこなすほど、デビューから一貫してライブ中心に活動して来た千春さん。TVに映し出されるのは、彼のほんの一面にしか過ぎません。ぜひ一度、コンサートへ足を運んでみて下さい。
そこには一輪の赤い薔薇のそばで、生きることの喜びや人を愛することの素晴らしさ、限りある命の尊さを説く(歌う)彼本来の姿が見られると思います。
| 固定リンク | コメント (2) | トラックバック (0)


























最近のコメント